今回は『FF15』(FFXV、FINAL FANTASY XV、ファイナルファンタジー15)のエンディングについてです。
といってもエンディングそのものの考察ではなく世間の反応についての考察です。
本記事は他作品も含めたネタバレが大量にあるので気にする方はここで閉じてください。
いきなりですが、『FF15』は物語構成として最終的に世界が救われてハッピーエンドです。
少なくとも私はそう認識しているのですが、レビューやTwitter、まとめサイトなんかでもバッドエンドと扱われてることが多い気がします。
というか間違いなくバッドエンド派が多数派でしょう。
これに私はずっと違和感を感じていました。
似たような物語構成の作品は多数あり、それらは基本的にハッピーエンド扱い、もしくはどんなに贔屓目に見てもハッピーエンド派とバッドエンド派が半々といったところです。(ビターエンド等はややこしくなるので今回無視します)
なぜ『FF15』は多数からバッドエンド扱いされるのか、その違和感の正体がようやく私なりに判明したので記事化することにしました。
最後に小説についても軽く触れてますので未読の方はご注意を。
[ちょっと追記]『FF15』のエンディングでは仲間も死んでしまったと思ってる人が意外といるようですが、仲間は明確に生きてる描写があります。ロイヤル版かPC版のタイトルメニューから「スタッフロール」を選択して流れる動画を見てください。
1.主人公が死ぬという物語構成
ここから『FF15』以外の作品も挙げていきます。
ゲームに限らず、映画・漫画・アニメ等のネタバレがあるので戻るならここが最後のチャンスです。とはいえなるべく超有名作品に絞るので多くの人が結末を知っていると思います。
世の中には主人公が死ぬ作品は多数存在します。
例えば、「火垂るの墓(映画)」は最後に主人公が死んでしまい、これはバッドエンドです。
対して、「アルマゲドン(映画)」も主人公が自己犠牲により死んでしまいますが、世界が救われてハッピーエンドです。
この二つの違いは何か?
答えは物語の目的です。
「火垂るの墓」における主人公の目的は生きること、もっと言えば「妹と生きる」ことだったのでその両者が死んでしまうという物語はバッドエンドになります。
「アルマゲドン」における主人公の目的は「隕石から世界を救う」ことなので、死んでしまっても世界を救うことができたのでハッピーエンドということです。
つまり物語上の目的が達成されたなら、より詳細に言えば「世界を救うという命よりも大きな目的」が達成されたのであればその物語はハッピーエンドになります。少なくともそう扱われる方が多いはずです。
一方で、目的が「世界を救う」ことではない場合に主人公が死んでしまう物語はバッドエンドとして扱われがちです。
もちろん、誰も死ぬことなく世界を救えたら分かりやすいハッピーエンドですね。
2.主人公が犠牲になって世界を救う物語
主人公が死んでも世界が救われれば本当にハッピーエンド扱いなのか?
というわけで、『FF15』と同じように主人公(もしくは準主人公)が犠牲になって世界(もしくは物語上の舞台)を救う物語をいくつか挙げてみます。続編がある作品の続編は無視してください。
●FF10(ゲーム)
最後に主人公が消えてしまいますが、シンが二度と復活しないように倒した=世界を救ったのでハッピーエンド扱いです。『FF15』は『FF10』をかなり意識してたと思います。
●アルマゲドン(映画)
1項で書いた通りハッピーエンド扱いです。
●ターミネーター2(映画)
敵のターミネーターを倒して世界(未来)を救いますが、(準)主人公のシュワちゃんは自身のチップを現代に残さないために自ら溶鉱炉に沈んでしまいます。でも、ハッピーエンド扱いです。
●ドラゴンボール セル編(漫画・アニメ)
生き返れる世界観なのでちょっと微妙ですが、セルを倒して世界を救えても主人公である悟空は自爆から地球を守るために犠牲になり二度とドラゴンボールでは生き返れなくなりました。が、当然セル編もハッピーエンド扱いです。
ちなみに、作品としてはブウ編に続きますが、鳥山先生はフリーザ編もセル編もそこで終わらせるつもりで書いていたらしいです。
他の有名作品として「デスノート(映画)のL視点」や「ジョジョ1部(漫画)」、「まどかマギカ(アニメ)」なんかも主人公が犠牲になって世界を救う物語で、一般的にはハッピーエンド扱いされてると思います。
そもそも作者の立場で考えても、あえてバッドエンドを描こうという人は少ないはずです。
ここに挙がってる作品もバッドエンドだよと思った方!
物語の受け取り方は人それぞれですのでそれも正しいです。ただ、ここでは多数派はどちらかという観点で記載しています。また、なぜバッドエンドと感じてしまうことがあるのかも後述します。
3.主人公が生き残っても世界が救われない物語
ここで逆の物語構成として、主人公が生き残っても世界が救われない物語を挙げてみます。
あくまでも物語の目的が「世界を救う」に対して世界が救われない話、しかも有名作品となるとほとんどありません。
●新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(映画)
世界を救うために戦ったものの最終的にシンジとアスカだけ生き残り、ラストの解釈は色々分かれそうですが、ハッピーエンドではないことは明白、つまりバッドエンド扱いでしょう。
有名作品だとこれくらいしか思いつきませんでした汗
あとは主人公が悪とか魔王側の作品は世界が救われないことも多々あるのですが、そういう作品は「世界を滅ぼす or 支配する」のが目的なのでハッピーとバッドで表現しにくいところだったりします。
ここで言いたかったのは主人公や仲間が生き残っても世界が救えなかった場合、その作品はバッドエンド扱いになるということです。
4.『FF15』はなぜバッドエンド扱いされるのか
ようやくここからが本題です。
冒頭にも書いた通り、『FF15』は主人公であるノクティスの自己犠牲により世界を救うという物語構成で、2項でも例示した通りそういう物語構成の作品は一般的にハッピーエンド扱いされます。
ではなぜ『FF15』はバッドエンド扱いされるのか?
答えはおそらく「感情移入」です。
より詳しく記述すると、キャラクターに感情移入することで「世界を救う」という目的よりも「ノクティスや仲間の命」の方が大事と思ってしまったということです。
感情移入したプレイヤーにとって、「世界を救う」よりも大事なものが最後に失われてしまうわけで、それでは世界が救われてもバッドエンドと感じるのも納得できます。
『FF15』においては、仮にノクトとルーナが生き残ってて世界を救えたとしても仲間(イグニス等)が犠牲になってしまったら、同じようにバッドエンドと受け取る人が多いような気がします。
私はゲームシナリオは重視しないので物語構成的にハッピーエンドと受け取りましたが、私もノクティスに犠牲になってほしくはなかったです。
2項で例示した作品も、主人公(または仲間や家族)に強く感情移入した人はバッドエンドと受け取るはすです。
『FF15』が凄いのは、リアルな仲間達と密度の高い旅を体験することで多くのプレイヤーにバッドエンドと感じさせるほどキャラクターに感情移入させることに成功している点です。
さらに興味深いことに、この多くのプレイヤーの中にはクソゲーと感じた人も含まれます。
感性は人それぞれなのでプレイした上でクソゲーと感じるのは仕方ないです。(個人的にはクソゲーはクリアせず途中で投げ出すものという認識ではありますが・・)
しかし、クリアしてクソゲーと言ってる人ですらバッドエンドと受け取っている人が多い、つまりクソゲーと感じた人もしっかりとキャラクターに感情移入してるんですね。
他にも、電車での描写によりグラディオが嫌われがちですが、これもノクトに感情移入してるからこそ嫌いという感情が生まれるのです。
例えば映画・ドラマ・小説・アニメ・漫画などで悪役キャラに対して本気で嫌いという感情を持つことはほとんどないと思いますがそれはあまり感情移入してないからですね。
自分が楽しんだゲームをクソゲーと言われるのはもやもやするところではありますが、そういう人がバッドエンドと書いてたりしたら、「この人も主人公や仲間が大切だったんだなあ」と暖かな目で見てあげましょう(^^)
5.小説について
最後に小説『FINAL FANTASY XV -The Dawn Of The Future-』について書かせてください。
小説はすぐに売り切れてしまい執筆時点で増刷中でまだ手に入れてない人もいるので以降なるべくネタバレがないように書いてるつもりです。
小説どうでしたか?
私は凄く面白くてもうゲームとしてプレイできなくても十分!と言えるほど満足できました。
元々ゲーム、特にRPGは移動や戦闘や寄り道があるせいでストーリーを描く媒体には向いてないと思ってるので、キャラクターの細かな心情まで描ける小説という媒体で結末まで一気に見れたのはある意味ベストだったとすらと思います。(シナリオに定評のあるFF10ですら正確に理解してない人もいるくらいですし)
小説は『FF15』をプレイした人には自信をもってお勧めできる出来でした。
それで、小説の感想として「最初からこのストーリーだったら良かった」というのをそこそこ見かけました。
果たして本当にそうでしょうか?
2項で挙げたのは有名作品だけであって、主人公等が犠牲になる物語というのは世の中に数えきれないほどあります。
その理由は、自己犠牲の物語は多くの人に刺さりやすいからです。
特に自己犠牲シーンは感情移入が深ければ深いほど現実での喪失感もあるはずで、そういったことも含めて多くの人にとって長い間記憶に残る作品となっていきます。
『FF15』に限らず、全員が生き残って世界を救えたら確かに文句なしのハッピーエンドではありますが、こういう物語は「ハッピーエンドという事象」だけが記憶に残って、物語としては結構忘れ去られていくものです。
仮に『FF10』が最後にティーダが消えない物語だとしたら今ほど評価されてないでしょう。
そういう意味でもやはり『FF15』は本編のシナリオであるべきで(後半の描写不足は否めませんが)、本編が喪失感を伴ったシナリオだったからこそ小説のシナリオが映えてくるのです。
もちろん小説の内容が2周目等にマルチエンドとして最初から入っていたらそれがベストですが開発物量的に無理だったのは明白ですしね。
おそらく『FF15』という作品は他に類を見ないほどにキャラクターへの感情移入が凄まじく、あまりにも要望やバッドエンドという意見が多かったために文句なしのハッピーエンドを描くDLCを追加しようとしたのだと思います。
中止になってしまったのは本当に残念ですが、小説という形で見れただけでも良かったと考えましょう。
とはいえ、もしDLCが復活するなら絶対買うのでスクエニさん待ってますよ!
ー2019/5/17
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